ライプニッツに学べ

最近、自分のある種の感覚が正しいことに確信が持てたので、昔のメモを掘り起こしながら、日記します。
ある種の感覚とは、「対立二元論」は危険で失敗する可能性があるという感覚です。「対立二元論」は、多分、私の独自のことばになるかもしれません。簡単に言うと、善と悪の関係です。AでないものをBとするも、場合によって当てはまります。
ネットで調べてみると、二元論に対して否定的な意見が多く、世間一般に知られた感覚のようですが、現実には、この罠にはまってしまう事が多いようです。
私が見た危険で失敗しそうな二元論は、自分が理解できるものと理解できないものとに線引きしてしまう、逃げ、です。よく、人は二種類に分けられる、、とかで始める考えがありますが、だいたいがこの線引きは存在するかもしれないけど、意味のある線引きでなく、対立を生み、新しい考えを阻害する要因になります。今起きている社会問題も、こんな二元論的考えを発端に起きているものが多いように感じます。
こんな二元論の罠を察知できる感覚を会得することができたのはライプニッツの影響かなと思いました。私の昔のメモは2001年12月に書かれたライプニッツに関するものでした。当時、哲学的な考えを巡らせていたら、ライプニッツの考えと近いことがわかり、この思想家でもある科学者を、最近覚えた言葉でいうと、ロールモデルとして、学びたいと思っていた時期がありました。そのときは、モナド論が、自分の考えと同じだったのですが、今は、ライプニッツが心と体の心身二元論に対し、すでにその二つはあらかじめ調和するように予定されていたとする予定調和の考え方を持ったことも理解できます。
対立するのではなく、調和する。陰陽思想も、同じ考えのようです。
メモには自分の考えが一つだけ残されていました。

ライプニッツアリストテレスの可能性とは
・可能であるとは、生存できると置き換えられるのでは?(自分の考え)

さて、このメモを取ったときの感覚はよみがえってきませんでした。当時、私は何を思ったのだろう。。。