マイノリティの壁崩壊

よく遊びにいく街で悲しい事件が起きました。
911以来の大きな衝撃です。知らないところでいったい何が起きているのかと不安を感じさせる事件です。
どこで歯車が狂ったのでしょう。前の経団連が多様な雇用形態を提案したところからではないでしょうか。この暴走はいずれ崩壊へと向かっていくことになるのかもしれませんが、根本問題は、マイノリティ問題に帰着されるのではないかと思うようになりました。
雇用格差問題の場合、世代的マイノリティと地域的マイノリティがあると思います。えー、勝手に用語を作ってしまってますが、要は、少子化で若い世代が少数派になっていることと人口の都市集中で地方の人口が減っているということです。政治を否定するつもりはありませんが、選挙をはじめとして今の社会のしくみでは、マイノリティは種々の権利を効率的に行使できないというのが現状なのではないでしょうか。これでは、若者が将来に希望を持てないのも当然です。
先日のテレビ東京では、久米宏が20代の若者を新ニッポン人と定義して、老後の為に貯金をする若者を映し出していました。今の若者が、将来に希望を持てない中、お金に希望を託し、それを信じている姿が不憫でなりませんでした。今のお金こそ希望がないと思うのですが、今の自分を守る精一杯の行為としてはしょうがないことは分かっています。事実、私もそうです。
でも、もう一つ、希望を見つけてみませんか。この前、読んだ『希望の国エクソダス』、日本の中学生が奇跡を起こすファンタジーですが、お隣の韓国で現実に起こりつつあります。今、韓国はBSE問題で1ヶ月もデモが長期化していて、その火付け役が小中高生によるネットだったとのことです。ミラクル!の一言です。
そんな様子を見ながら、マイノリティの前に立ちはだかる壁は、時間が経てば一時的に超えることができるかもしれませんが、ここは、世代を超えて、地域を越えて、考えを共有し、共感することで、壁を崩壊させることを選んでいきたいと思うようになりました。今のネットには、その道を選択することができるインフラが整ってきています。マジョリティは、ネットがマイノリティの武器になることを本能的に察知し、規制をかけようと動いていますが、マイノリティはこの動きに慎重にならなければなりません。また、自らネットの格をおとしめるような行為も絶対にしてはいけません。
まず、共有し、他を知り、違いがあっても尊重し、共感できれば表現する。こういう行為を繰り返し行えるインフラを作っていきたいと思います。